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井上靖について

井上靖は、明治40年5月6日、現在の旭川市春光6条4丁目の師団官舎で生まれました。
軍医であった父隼雄の従軍によって、約1年で旭川を離れましたが、母やえが語る5月の旭川の美しさに、「私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った」と生誕の地・旭川への思いを記しています。平成2年9月には、旭川市が誕生して100年記念式典での特別講演と井上靖文学碑(旭川市4条通8丁目緑橋通り)除幕のために来旭しています。

年譜

1907(明治40)年

5月6日、父の任地・北海道石狩国上川郡旭川町(現・旭川市)に、軍医である父・隼雄、母・やえの長男として生まれる。

1908(明治41)年/1歳

父の従軍にともない、母・やえとともに母の郷里(静岡県田方郡上狩野村湯ケ島)に移る。

1912(明治45)年 /5歳

両親と離れ湯ヶ島で祖母・かのに育てられる。

1914(大正3)年/7歳

湯ヶ島尋常高等小学校に入学

1920(大正9)年/13歳

祖母・かの死去。家族の住む浜松に移り、浜松尋常高等小学校に転校

1921(大正10)年/14歳

静岡県立浜松中学校に首席で入学

1922(大正11)年/15歳

静岡県立沼津中学校に転校。寺や親戚の家に下宿

1926(大正15)年/19歳

沼津中学校卒業

1927(昭和2)年/20歳

金沢の第四高等学校(現・金沢大学)に入学。柔道部に入部

1929(昭和4)年/22歳

詩作を始め『日本海詩人』『焔』『北冠』などに詩を発表

1930(昭和5)年/23歳

第四高等学校卒業。九州帝国大学(現・九州大学)に入学するも、その後退学

1932(昭和7)年/25歳

京都帝国大学(現・京都大学)に入学。このころから懸賞小説に連続して入選

1935(昭和10)年/28歳

京都帝国大学名誉教授、足立文太郎の長女・ふみと結婚

1936(昭和11)年/29歳

京都帝国大学卒業

「流転」により第1回千葉亀雄賞を受賞し、大阪毎日新聞社に入社

1937(昭和12)年/30歳

軍隊に召集(名古屋野砲兵第3連隊)され、中国の北部各地に駐屯

1938(昭和13)年/31歳

除隊となり、大阪毎日新聞社に復帰

1945(昭和20)年/38歳

終戦の日に「玉音ラジオに拝して」の記事を書く。

1950(昭和25)年/43 歳

「闘牛」により第22回芥川賞を受賞

1955(昭和30)年/48歳

7月12日、講演のため生誕の地・旭川を48年ぶりに訪れる(1回目)。

1957(昭和32)年/50歳

日本作家代表団の一員として、中国各地を訪問

1958(昭和33)年/51歳

「天平の甍」により第8回芸術選奨文部大臣賞を受賞

1959(昭和34)年/52歳

「氷壁」その他の作品により第15回芸術院賞を受賞

 父・隼雄逝去(享年79歳)

1960(昭和35)年/53歳

「敦煌」「楼蘭」により第1回毎日芸術賞(大賞)を受賞

1961(昭和36)年/54歳

「淀どの日記」により第14回野間文芸賞を受賞

1962(昭和37)年/55歳

6月22日、講演のため旭川を訪れる(2回目)。

1964(昭和39)年/57歳

日本芸術院会員となる。

「風濤」により第15回読売文学賞を受賞

1969(昭和44)年/62歳

「おろしや国酔夢譚」により新潮社の第1回日本文学大賞を受賞

 日本文芸家協会理事長に就任

1973(昭和48)年/66歳

西域の各国(イラン・イラク・トルコなど)を訪問

母・やえ逝去(享年88歳)

1976(昭和51)年/69歳

文化勲章を受章

1979(昭和54)年/72歳

11月14日、講演のため旭川を訪れる(3回目)。

1980(昭和55)年/73歳

日中文化交流協会会長に就任

NHKシルクロード取材班とともに第28回菊池寛賞を受賞

1981(昭和56)年/74歳

シルクロードの取材で第32回NHK放送文化賞を受賞

日本ペンクラブ第9代会長、日本近代文学館名誉館長に就任

1982(昭和57)年/75歳

「本覚坊遺文」により新潮社の第14回日本文学大賞を受賞

1984(昭和59)年/77歳

国際ペンクラブ副会長に就任

1986(昭和61)年/79歳

中国・北京に招かれ、北京大学名誉博士号を受ける。

1989(平成 元)年/82歳

「孔子」により第42回野間文芸賞を受賞

1990(平成2)年/83歳

9月18日から21日まで、井上靖文学碑の除幕式等に出席のため、旭川を訪れる(4回目)。

1991(平成3)年

1月29日、急性肺炎のため逝去。享年83歳。

勲一等旭日大綬章が贈られる。

 

主な作品

流転
1936(昭和11)年

『サンデー毎日』の長編大衆文芸に応募し、時代物第一席に選ばれて、第1回千葉亀雄賞を受賞

翌年、『サンデー毎日』1月3日・10日合併号から2月21日号まで連載

猟銃
1949(昭和24)年

『文学界』10月号で発表

闘牛
1949(昭和24)年

『文学界』12月号で発表。1950(昭和25)年 第22回芥川賞受賞

黯い潮
1950(昭和25)年

『文藝春秋』7月号から10月号まで連載

ある偽作家の生涯
1951(昭和26)年

『新潮』10月号で発表。

あすなろ物語
1953(昭和28)年

『オール読物』1月号から6月号まで連載

風林火山
1953(昭和28)年

『小説新潮』10月号から翌年12月号まで連載

淀どの日記
1955(昭和30)年

『別冊文藝春秋』8月第47号から1960年3月第71号まで連載

1961(昭和36)年 第14回野間文芸賞受賞

氷壁
1956(昭和31)年

『朝日新聞』11月24日から翌年8月22日まで連載

1959(昭和34)年 その他の作品とともに、第15回芸術院賞受賞

天平の甍
1957(昭和32)年

『中央公論』3月号から8月号まで連載

1958(昭和33)年 第8回芸術選奨文部大臣賞受賞

敦煌
1959(昭和34)年

『群像』1月号から5月号まで連載

1960(昭和35)年 「楼蘭」とともに、第1回毎日芸術賞(大賞)受賞

蒼き狼
1959(昭和34)年

『文藝春秋』10月号から翌年7月号まで連載

しろばんば
1960(昭和35)年

『主婦の友』1月号から1962年12月号まで連載

楊貴妃伝
1963(昭和38)年

『婦人公論』2月号から1965年5月号まで連載

風濤
1963(昭和38)年

『群像』8月号に第1部、10月号に第2部を発表。
1964(昭和39)年 第15回読売文学賞受賞

夏草冬濤
1964(昭和39)年

『産経新聞』9月27日から翌年9月13日まで連載

後白河院
1964(昭和39)年

『展望』10月、11月号と翌年の4月号から6月号及び11月号に連載

おろしや国酔夢譚
1966(昭和41)年

『文藝春秋』1月号から翌年12月号まで連載。1968年5月号に終編を発表。1969(昭和44)年 第1回日本文学大賞受賞

額田女王
1968(昭和43)年

『サンデー毎日』1月7日号から翌年3月9日号まで連載

北の海
1968(昭和43)年

『東京新聞』、『神戸新聞』、『中日新聞』、『西日本新聞』、『北海道新聞』12月9日から翌年11月17日まで連載

星と祭
1971(昭和46)年

『朝日新聞』5月11日から翌年4月10日まで連載

わが母の記
1975(昭和50)年

3月『講談社』より刊行。先に発表した「花の下」、「月の光」、「雪の面」の三作をまとめたもの。

本覚坊遺文
1981(昭和56)年

『群像』1、3月号及び5月号から8月号に連載。1982(昭和57)年 第14回日本文学大賞受賞

孔子
1987(昭和62)年

『新潮』6月号から1989年5月号まで連載。1989(平成元)年 第42回野間文芸賞受賞

 

詩人として

数々の文学賞を受賞した「小説家」井上靖は、「詩人」としても優れた作品を残しています。金沢の四高時代から、九州帝大、京都帝大時代まで詩の雑誌に同人として詩を書いていました。

「ノートに書きためた自分の作品については、詩というより、詩を逃げないように閉じ込めてある小さな箱」であると言い、「詩とは、きびしく言えば、恐らくその呪術であろう。呪術そのものに違いない。そして私はついにその呪術を発見できなかった詩人ということになるのであろう。」と語っています。

井上靖記念館内ラウンジでは、『井上靖全詩集』をはじめ、『シリア砂漠の少年』、『増補愛蔵版 井上靖シルクロード詩集』などの詩集も閲覧可能です。また、書家「金子鷗亭」により大書された「飛天と千仏」を展示しています。

井上靖が寄稿した同人雑誌
日本海詩人
富山県石動町(1929〜1930)
北冠
富山県高岡市(1929〜1930)
文学abc
青森県弘前市(1930)
東京(1929〜1933)
日本詩壇
東京、大阪(1933〜1936)
聖餐
京都帝大のグループ(1935〜1936)
井上靖詩集
北国
昭和33年 東京創元社
地中海
昭和37年 新潮社
運河
昭和42年 筑摩書房
季節
昭和46年 講談社
遠征路
昭和51年 集英社
乾河道(かんがどう)
昭和59年 集英社
傍観者
昭和63年 集英社
星蘭干
平成2年 集英社
井上靖全詩集
昭和54年 新潮社、『北国』~『遠征路』等所収
シリア砂漠の少年
昭和60年 教育出版センター
春を呼ぶな
平成元年 福田正夫詩の会
井上靖 シルクロード詩集
平成10年 NHK出版